志村けんさんの訃報を聞きました。
台湾でも絶大な人気を誇っていた志村さんだけに、
こちらのニュースでも大きく報道されています。
私はあまり追悼文のようなものは書かないのですが、
一つだけ思い出を書き留めておきます。
今から20年ほど前、日本の某広告代理店と、
日本アジア航空のイメージキャラについて企画を詰めていました。
金城武はすでに決まっていたので、そのパートナーを探していました。
私は意見を求められ、
金城武が台湾を語る相手として、女性ではなく、あえて中年男性を選び、
しかも、芸風と人柄にギャップがあって新鮮感を与えられること、
そして、他人の話を静かに聞くタイプと思い、志村さんを提案させていただきました。
台湾でも志村けんさんは大人気で、
「志村けんのだいじょうぶだぁ」が一日のうち、
何度も繰り返し放送されていました(そのため、マーシーや石野陽子、松本典子なども知名度が高い)
会議は東京だったのですが、
帰国する一週間ほど前、嘉義へ取材に出ており、
鉄道ファンの林政廷さんとの雑談の中、志村けんへの「思い」を熱く語られました(笑)
これはホントの偶然だったのですが、
台湾の人々に溶け込んだ存在として、志村さんが脳裏に焼き付きました。
東京の会議で志村さんを提案したところ、
企画はとんとん拍子で進んでいきました。
そして、周知のように、二人のペアは大好評を博しました。
なお、日本アジア航空といえば、
片倉真理は機内誌アジアエコーにほぼ毎月、記事を寄せ、
私もJALの「アゴラ」の日本アジア航空出稿ページで10年近く台湾記事の連載を担当しました。
今思うと、
志村さんと金城武、そして、日本アジア航空の存在は
台湾と日本を結びつける、実に大きな役割を演じていましたね。
今、志村さんの死をきっかけとして、
日本人が改めて一つになり、
武漢肺炎(新型コロナウィルス)とどう向かい合っていくか、
考えていきたいですね。
正直なところ、
寂しさと悲しさと、そして、何とも言えない怒りがこみ上げてきます・・・
志村さん、どうぞ安らかにお休みください。
合掌。