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 ブログ 片倉佳史の台湾体験

2019年1月30日(水曜日)

南投県竹山、竹刀の製造を取材

台湾は「竹」に関する工芸品や地場産品がとても発達している土地。
また、良質の竹を多く産出し、
さらに絶品のタケノコ料理も味わえます。

今回はご縁をいただき、竹に関する取材をしてきました。
南投県竹山は農業の盛んな土地ですが、
同時に竹を用いた様々な産業が発達しています。

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今回は「竹刀」の取材をさせてもらいました。
正直なところ、あまり知られていないのですが、
日本の剣道で使用されている竹刀の9割以上が海外産で、
その製造業者は台湾の会社です。

実際に工場があるのは中国とインドネシアなのですが、
その技術は疑いなく台湾のもの。そして素材は台湾産の竹です。
中でも台湾中部山岳地帯の「桂竹(けいちく)」は評価が高く、
これなしでは竹刀は存在せず、
日本の剣道界もなり得ません。

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とにかく圧倒されてしまう竹刀の材料庫

まず驚いたのは、竹が山積みになった材料倉庫。
見上げるまでのその様子に圧倒されました。
そして、裏庭にはその竹が組まれた状態で干されていますが、
その様子も美しく、印象的な光景でした。

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そして、オーナーが誠心誠意、
竹刀造りに向かい合っていることに感動を覚えました。

「台湾なくして剣道なし」という状況ですが、
残念ながら、日本で出回る竹刀に「台湾」の文字はなく、
ほとんど知られていません。
しかし、すでに半世紀以上、
台湾の業者が竹刀の製造を担っています。

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オーナーは
「もし中途半端なものを作ったら、とにかく危ない。
 子供たちに健全な剣道の精神が宿ってほしいので、
 私たちも気を抜かず、仕事に打ち込んでいます」
と語っていましたが、そういった気概に支えられ、
日本の剣道界は成り立っているんですね。

剣道家の皆さんにはぜひ知ってほしい事実だと思います。

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2016年1月1日(金曜日)

新年のご挨拶 2016年元旦

今年もますます、盛り上がっていきたいですね!

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2014年8月25日(月曜日)

インドネシアの残留日本兵、小野盛さんが他界されたようです

インドネシアの残留日本兵。
その最後の生き残りとなっていた小野盛(さかり)さんが他界されたようです。

終戦後、インドネシアの独立戦争を戦い、
その後もジャワ島にとどまった方です。

今、現地に確認中ですが、すでにニュースにもなっており、間違いはないようです。

寂しいかぎりです・・・

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2013年10月18日(金曜日)

【訃報】 台湾籍残留日本兵・宮原永治さんが他界しました

宮原永治,残留日本兵,ジャカルタ

【訃報】

釧路取材中の一昨日、ジャカルタ在住の台湾籍残留日本兵宮原永治(ウマルハルトノ)さんの訃報を聞きました。
宮原さんは台湾南部麻豆の出身。軍属としてインドネシアに渡り、戦後もそこに生き続けてきた残留日本兵です。享年91才。
朝日新聞のデジタル版に訃報記事が掲載されています。


2012年の取材時の様子。この頃から足を悪くされていました

私はこれまで3年ほど宮原さんの聞き取りをしてきましたが、改めて残念です。
最後にお会いしたのは昨年10月のこと。ドキュメンタリー映画『台湾アイデンティティ』の取材でした。
この映画で取り上げることができたのがせめてもの救いですが、本来なら、しっかりと書籍でその生きざまをまとめたかったです。

宮原永治,残留日本兵,台湾籍

宮原さんの思い出は数々ありますが、気を引き締めて今後の取材活動に勤しみたいと思います。
今回の訃報で、インドネシアにいる残留日本兵はジャワ島東部マランに住む小野盛(さかり)さんお一人となりました。

合掌。

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2013年5月16日(木曜日)

映画『台湾アイデンティティー』試写会の様子

酒井充子,宮原永治,高一生,張幹男,呉正男,片倉佳史

映画『台湾アイデンティティー』(酒井充子監督)の試写会。
全編通しで見るのは初めてでしたが、一気に引き込まれる作品だと思いました。
上映会場は満席で、席が足りなくなるほどでした。


舞台挨拶する酒井監督

本作品は阿里山ツオウ族のエリートで、白色テロの犠牲者・高一生の遺族たち、
インドネシアに暮らす台湾籍残留日本兵・宮原永治氏、少年航空兵でシベリア抑留経験者・呉正男氏、
火焼島(現・緑島)の政治犯収容所経験者の張幹男氏など、様々な台湾の人間模様を取り上げています。

宮原永治,残留日本兵
ジャカルタ在住の宮原さん

一般公開まではまだ一ヶ月半ほど時間がありますが、
多くの方にみていただきたく思います。

http://u-picc.com/taiwanidentity/index.html
オフィシャルサイト『台湾アイデンティティー』

片倉佳史,酒井充子


2013年1月11日(金曜日)

ドキュメンタリー映画

カテゴリー: - katakura @ 11時21分38秒

現在制作中のドキュメンタリーフィルム。

何かと厳しい状況下、ひたすら編集作業に打ち込んでいるスタッフの皆さんを敬服しています。

来月には大まかな詳細が発表できると思います。
写真はインドネシア独立戦争を闘った台湾籍残留日本兵の宮原永治さんの取材風景です。


2012年10月3日(水曜日)

ジャワ島東部に残留日本軍兵士を訪ねる

第二次世界大戦後、インドネシアに残留し、オランダとの独立戦争を戦った日本軍兵士。

ジャワ島東部に在住の小野盛(さかり)さんを訪ねました。
ジャカルタから列車で16時間、そしてマランという街からさらに車でこの地を目指しました。

今回は3日ほど通い詰め、お話しを伺ってきました。
日中は聞き取り、夜は取材内容の整理を繰り返しましたが、非常に充実した日程でした。
戦火の中で左手を失い、両目の視力をほぼ失っている小野さんですが、
その語りには引きこまれるばかりで圧倒されました。

2012年、インドネシアの残留日本兵は小野さんを含めて二人のみとなっていますが、
引き続き、調査を進めていきたいと思います。


2012年9月27日(木曜日)

インドネシア在住の台湾籍残留日本兵を訪ねる

今日はジャカルタに在住の台湾籍残留日本兵の方を訪ねました。

この方は日本名宮原永治さん、台湾名を李柏青さん、そして、インドネシア名をウマルハルトノさんと言います。
戦時中にインドネシアに渡り、戦後もこの地に暮らし、インドネシア独立戦争を現地の人々とともに戦ったという方です。
詳しくは別の機会に譲りますが、私は三年前にご縁をいただき、取材を続けてきました。
実は8月にもお話しをうかがっているのですが、自宅にお邪魔するのは初めてです。

今回、もっとも印象的だったエピソードをひとつ。
2007年、時の安倍首相がインドネシアを訪問した際、
真っ先に彼らをを訪ねたそうです。宮原さん曰く、「あのことは生涯忘れない」とのことでした。
その時、首相は開口一番、「ご苦労様でした」と声をかけたと言います。

長くてつらい戦後だったと宮原さんは言いますが、「忘れられていなかったんだ」という実感を得られ、
お返しする言葉を見つけられなかったそうです。

明日、宮原さんには安倍さん自民党の新総裁になったことをご報告してきます。

なお、インドネシアにいる残留日本兵の生存者は宮原さんを含めて2人だけになっています。
引き続き、取材を続けたいと思います。

宮原永治,残留日本兵,インドネシア


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