おかげさまで拙著『食べる指さし会話帳・台湾』の増刷が決まりました。 この場を借りて、お礼もうしあげます。ありがとうございました。
片倉佳史・石野真理
台東県卑南郷の山里集落の豊年祭です。 最終日、夜を徹して祭事が行なわれました。 会場は小学校ですが、独特な雰囲気ですね。
東沙の飛行場です。現在は1550メートルの長さを誇りますが、その歴史をたどると、 日本統治時代(1939年頃と推定)に造営されたものです。当時は600メートルあまりの長さしかありませんでした。 もともと燐鉱石の採掘場の跡地に滑走路を設けたと伝えられています。
南沙諸島と並び、南シナ海の火種と言われている東沙ですが、ここは日本統治時代から高雄市に属しており、 今も旗津区に属しています。現在一般住民は戸籍を東沙に移した高雄市職員の2名だけですが、常時200名の防備隊が 暮らしています。そして、統治を既成事実化させるためか、なんと高雄市営バスが走っています。その名も東沙1號。 ただし、週に一度、一往復のみの運行です(笑)
南シナ海に浮かぶ東沙諸島(プラタス諸島)に行ってきました。 新聞局に機会をいただいたものですが、とにかく貴重なチャンスで、 将来的には一般開放される予定ではあるものの、2度3度ということはない予感がしています。 軍事管制区ではありますが、撮影はかなり自由でした。
この軍用飛行機も初体験!ロングシートスタイルの飛行機に初めて乗りました。
澎湖国家風景区が新しいウェブサイトを立ち上げるということで、 その式典に招かれました。澎湖は結構熱心に日本からの旅行者受け入れキャンペーンを やっています。みなさんもぜひ足を運んでみて下さい。
日本統治時代に用意されていた新竹駅のスタンプです。 拙著『台湾風景印-台湾・駅スタンプと風景印の旅』でも紹介していますが、数あるスタンプの中で、 最もシンプルな図案ではないかと思います。当時の特産品である蜜柑だけが描かれています。
台東県卑南郷にある初鹿はプユマ族の暮らす集落で、現地ではウリブリブク、もしくはパシカオと呼ばれています。日本統治時代、ここは初鹿と表記され、神社が設けられていました。現在、痕跡は残っていませんが、石灯籠の一部が放置されています。ここを初めて調査したのはもう10年前ですが、先日訪れた際、当時と同じ場所に全く変わらず置かれていて、ちょっぴり驚きました。奉納の「奉」の字が見えます。
台北郊外の指南宮の旧参道に日本式の石灯籠が残っていました。 この参道そのものが忘れ去られた存在で、入り口もわかりにくくなっています。
石灯籠そのものの保存状態は良好です。
沖縄のみなさん、明日7月20日の11:30から RBC琉球放送の「台湾に吹くうちなんちゅうの風」 という番組でお話をさせていただきます。 短いトークですが、ぜひ、お聴きになってみてください。 どうぞよろしくお願いいたします。
タリグさん(中国名・華愛)さんが7月15日午後17時頃、亡くなりました。 私はこの日、お見舞いにうかがうつもりで高雄へ向かったのですが、到着の1時間前に他界されました。
タリグさんはパイワン族の方で、 牡丹社事件で知られる高士沸(クスクス)社の出身でした。 私はご縁を得て、パイワン族の伝説や昔話、言語や習慣などについて教えていただきました。
タリグさんは戦後、中華民国軍を指導した日本人将校団「白団」の通訳を務めたり、 原住民族ではじめて立法委員(国会議員)になったりした人物です。
最後のお別れができなかったことは本当に心残りですが、 いつまでもその元気なお声を心に留めたいと思います。
合掌。
タリグさんの葬儀は7月31日、高雄にて行なわれます。
亀山島近海ではイルカウォッチングが楽しめます。 かなりの確率で見られるので、おすすめです。地元の方の話しでは8割くらいの確率で見られるそうです。
ピュマ族のタパラカウ村の豊年祭の様子です。 ここは著名歌手である張恵妹(a-mei)の故郷ですが、この日はお会いすることはできませんでした。
12日、映画「逍遥日記」の上映会がありました。この作品は日本統治下で青少年時代を送った人々を取材したドキュメンタリーです。 80歳を超え、激動の人生を振り返るとき、彼らが放つメッセージとはいかなるものでしょうか。
今後の上映については追ってご報告します。
茶葉を用いた創作料理で一世を風靡した「竹里館」ですが、 そのオーナーが新たに手がけた「禅風茶趣」を取材してきました。 写真は「茶膳套餐」というセット。メインはプーアル茶で煮込んだフィレステーキです。 これは一日50食という限定ですので、事前予約がベター。 なお、従来の西華飯店裏にある竹里館は今後は茶芸館として リニューアルされるそうです。 来月号の『な〜るほどザ台湾』に記事を寄せます。
台北市松江路182号2F(慶泰飯店の隣ビル) 02-2567-8977
台湾鉄路管理局の台北機廠を撮影する機会をいただきました。 この鉄道工場は日本統治時代に設けられたもので、米軍機による爆撃を受けているものの、 現役を貫いているというすごい建物です。
この日は運良く南アフリカ製のEMU1200が検査を受けていたので夢中になって シャッターを切りました。将来的な移転が決まっているこの工場ですが、いくつかの 建物は保存されるそうです。
陽明山は終戦まで草山(そうざん)と呼ばれていました。 古くから花の名所として知られており、日本統治時代から すでに国立公園に指定されていました。 台北から草山、金山へ向かう道路の脇にこんな石碑が残っています。 「行啓並御成婚記念造林地」と刻まれています。建碑は昭和9年3月。 あまり知られていない石碑です。
私がメインライターをさせていただいている昭文社の『新個人旅行・台湾』ですが、 このたび2009-10年度版が刊行になりました。小さい街や田舎などを多く取り上げ、アクセスを 徹底させた一冊です。書店で見かけたらぜひお手にとってみてください。よろしくお願いいたします。 <
台北郊外の新店にあった文山神社の遺跡探しに行ってきました。 神苑は空軍墓地になっていますが、今回、近くの太平宮という廟に 狛犬が移設されているのを見つけました。無傷ではありましたが、 台座に文字は刻まれておらず、詳細は不明です。今後、調査にあた りたいと思います。
台東県内で開催される原住民族の祭典の日程です。 なお、この表の中にはアミ族、ルカイ族、パイワン族、プユマ族などが混じっていますので、ご注意下さい。
http://www.taitung.gov.tw/upload/BulletinNews/File/1192/BulletinNews_633505250937500000.xls
『大日本職業別地図集』より。調査は昭和3年に実施されています。
交流協会(大使館)の池田維代表の離任パーティーにお招きいただきました。 昨年、台北市内の歴史と建築物をご案内させていただく機会をいただき、おつきあい いただきました。なお、この写真の左の方は池上一郎博士文庫の劉代表です。
彰化県の員林にある神社の遺跡。 ここは皇民化運動に連動して設けられたタイプの神社で、 設備はとてもしっかりしていました。
現在は忠烈祠となっており、 鳥居などは中国風の装飾を取り付けられています。 ただ、狛犬はほぼ原型を留めています。
実はここ、数年前に初めて訪れたのですが、 まさか員林の市街地からこんなに離れているとは思えず、 歩いてこなくてよかったと、そればかり思っていました(笑)
メールマガジンでも紹介しましたが、7月1日、交通部観光局主催で、 「1000人一斉足裏マッサージ」というイベントが開催されました。 台北アリーナを会場に壮大なスケールでした。めでたくギネスブックにも 登録されたようです。
RTI、台湾国際放送の日本語番組でお話をする機会をいただきました。 今回は台湾におけるスタンプ収集についてお話ししています。ちょっと早口 で、内容も少々マニアックなどですが、ご興味を感じて頂ければ幸いです。 http://japanese.rti.org.tw/ 画面左側の土曜日のところをクリックして下さい。開始後1時間後くらいから 始まります。どうぞよろしくお願いいたします。
『まっぷるマガジン・台湾』の今年度版がでました。 どちらかというと、ここ数年は一般的な旅行者向けの編集になっています。 どうぞよろしくお願いいたします。全国の書店店頭でご覧下さい。
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