明石元二郎総督墓地鳥居が元来の場所に戻る
第七代台湾総督明石元二郎の墓地に設けられていた鳥居が元来の場所に戻りました。
場所は林森北路と南京東路の交差点にある緑地で、ここは日本統治時代、三板橋と呼ばれた共同墓地のあった場所。
明石総督の墓地もここに設けられていました。
戦後、中華民国国民党が統治者として台湾に君臨しますが、中国大陸から流れ込んできた下級兵士たちに墓地は占拠され、
バラックが無秩序に並ぶようになりました。この鳥居はその中に埋もれ、家屋の柱になっていました。
1996年、陳水扁市長時代に不法住宅は撤去され、公園になりましたが、鳥居は228公園(旧台北新公園)に移設されます。
そして、移設されてまもなく馬英九市長時代に入ってしまいます。
鳥居は撤去されるようなことはありませんでしたが、台北市文化局の意向で、案内や解説版は設けられず、
何の脈絡もない状態で公園の片隅に鳥居が置かれているという形になっていました(昨年、台北市ではなく、228公園の管理団体が解説板を設けていました)。
そして、今年11月中旬、突然、元来の三板橋共同墓地に戻されました。
この動きについては、当地の里長(町内会長)の強い意向があったそうですが、
どういうわけか、全くメディアに報道されないまま、鳥居の移設工事が行なわれました。
大きく繁茂したガジュマルが覆い被さるような勢いです。
なお、この脇の小さな鳥居は3代総督乃木希典の母堂墓地にあったもので、
1914(大正3)年3月には乃木夫妻の御遺髪が合祀され、鳥居が設けられました。
ただし、これは林森北路を挟んで西側にあったものです。
後日記;この小鳥居は鎌田正威秘書官墓地のものという事実が判明。謹んで訂正させていただきます(2011年4月20日)
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