新竹神社の跡地を取材
日本統治時代の新竹神社跡地を取材してきました。
このたび、新竹市政府のご協力を得て、この場所を訪れたのですが、
ここは戦後、中華民国政府に接収され、「靖廬」と呼ばれる不法滞在者の収容所になっていました。
その関係で、立ち入りはもちろん、門の外でカメラをもってうろうろするだけでも監視の眼が光るという状態でした。
私も何度か取材申請を出したことがありましたが、却下されつづけてきました(涙)
社務所がほぼ完全に往年の姿を留めています
新竹神社は1918(大正7)年10月25日に鎮座を果たし、
翌々年には県社に昇格。1942(昭和17)年には国弊小社になっています。
戦後、中国からの密航者や不法入国者の収容所になっていましたが、
現政権の中国寄り政策の影響で、
現在は東南アジアからの不法入国者の収容施設になっているそうです。
拝殿・本殿跡は整地されていますが、石畳の部分が残っています。
本殿脇には見事に生い茂った黒松が!ちなみに新竹市の市樹は黒松です。
手水舎のあった場所
ちなみに手水鉢は郊外の青草湖の霊隠寺というところに移されています
絵馬殿兼ご休憩所だった建物はかなり傷んでいました
現在は新竹市の古蹟となっており、保存対象にはなっていますが、
やはり、厳しく閉ざされた空間です。
今回の取材はまさに15年越しの夢でした!
もうしわけないことに、所長さんまで出てこられ、敷地内を案内してくれました。
社務所・神楽殿のほか、石段や黒松の巨木などを見せていただきました。新竹市政府の皆さん、ありがとうございました!
なお、新竹神社の石灯籠は一部が市立動物園の中に移されています。
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