天母教開祖・中治稔郎の遺族を訪ねる
台北市の北側に位置する天母地区。
その地名の由来にもなっている天母(てんぼ)教の開祖・中治稔郎の遺族の方をお訪ねしてきました。
この天母教は天照大神と媽祖を結び合わせるという教義の奇抜さはもちろん、
天母に教団本部を設け、ここに高級住宅街を造成する都市計画をたてるなど、非常に際立った発想を持ち合わせていました。
教団は敗戦によって解散しましたが、都市計画はその後、米軍関係者の居住地になったことで実現し、現在に至っています。
こういった背景は残念ながらあまり知られていませんが、その分、この日は発見も多く、6時間近くもおつきあいいただいてしまいました。
まだまだ聞き足りないことがあり、確認作業も入念に行なう必要がありますが、
充足感の大きい取材でした。また、遺族の方々が何を思い、何を感じているか、そういった部分でも大きなヒントを得ました。
この日はかつて台北を代表する存在だった菊元百貨店のオーナー・重田栄治についてもお話をいただきました。
ご協力いただいた遺族の方々、お引き合わせいただいた方に心よりお礼申し上げます。
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