天母教教団に祀られていた媽祖像
日本統治時代の教派神道系教団・天母教に祀られていた媽祖像。
台北市士林区天母の三玉宮のご協力で、そのご神体をついに特定できました。
開祖である中治稔郎は自ら福建の湄洲へ赴いて媽祖のご神体を持ち帰ったとされていますが、
終戦によって天母教が解散の憂き目に遭った際、
地元の人々によって三玉宮(先代)に移されていました。
しかし、三玉宮には媽祖像が全部で7尊あり、
どれが天母教のものだったのか、不明でした。
天照大神と媽祖を同一視するという奇抜な教義をもった天母教。
その全容は文献・史料も少なく、謎に包まれていましたが、
媽祖像は台湾の人々の手でしっかり守られてきました。
そして何より、「天母」という地名にその名を残した天母教。
ここまで、思いのほか時間がかかってしまいましたが、その分、歓びもひとしおです。
引き続き、調査を続けたいと思います。
中治稔郎によって福建湄洲より分霊された媽祖のご本尊
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