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 ブログ 片倉佳史の台湾体験

2016年8月15日(月曜日)

メールマガジン 107号

片倉佳史の台湾便り  2016.8.15発行 第107号 発行部数2006部

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片倉佳史の台湾便り  2016.8.15発行 第107号 発行部数2006部
                        http://katakura.net/
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+‥目次‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
1.8月20日、国立成功大学で講演をします
2.『歴史通』の巻頭特集と対談記事
3.別冊『正論』に記事を寄せています

◆取材メモから◆
★過去の原稿から★
●魅惑の台湾語歌謡●
■拙著・拙稿から■
○あれこれ○

+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

 酷暑が続く台湾からのメールマガジンです。8月は原住民族の祭典が続く関係で、国内での講演はすべてお断りさせていただき、台湾で取材と執筆に専念しています。暑い日が続いていますが、まる一ヶ月以上、台湾にいられるのは久しぶりです。
 おかげさまで、現在、東海道新幹線のグリーン車で見られる雑誌『ウェッジ』の記事(売店や書店でも購入可能です)は好評のようで、何人もの方からメッセージをいただきました。エバーグリーン(長栄)グループの故張栄発総裁についての追悼記事ですが、台湾について学んでいく上でぜひとも考えたい台湾人生来の気質というものを感じさせてくれた人物でした。
http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress/index.php?p=2197
 8月5日に台北市日本工商会の例会にて講演をさせていただきました。台湾で活躍する日本人駐在員が約150名。今回は「新政権を迎えた台湾と日本統治時代の歴史建築」というテーマでお話をしました。歴史建築の保存事例やリノベーション・レストラン、台湾人の歴史観などに触れてみました。工商会例会でお話をするのは2006年以来、なんと10年ぶりでした。
http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress/index.php?p=2196
 

1.8月20日、国立成功大学で講演をします

台湾日本学生会議さんのお招きで、8月20日(土)13時30分から講演をします。テーマは「取材者の目で見た台南〜考えてみたい台湾と日本の歴史」。すでに100名近い申込者がいるそうなので、お早めにお越しください。場所は国立成功大学成杏キャンパスの醫工系館5734教室です。入場は無料です。お問い合わせは以下、担当の呉さんまでお願いします。
tjscncku.2016@gmail.com

2.『歴史通』の巻頭特集と対談記事

現在発売中の雑誌『歴史通』。巻頭カラー特集で、古写真を用いて日本統治時代の台湾の姿をご紹介しています。18ページの大特集なのでインパクトが大きいと思います。この特集に続き、台湾本をこれまでに何冊も翻訳してきた天野健太郎さんと私の対談記事があります。そして、池田維元交流協会代表と作家の乃南アサさんの対談もあります。永久保存版だと思うので、ぜひお手にとってみてください。
http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress/index.php?p=2190
http://web-wac.co.jp/magazine/rekishi/
公式ウェブサイトはこちら

3.別冊『正論』に記事を寄せています

現在発売中の別冊『正論』に記事を寄せています。今回は「台湾教育に命掛けた芝山巌の六士」と題して記事を書きました。日本統治時代の教育や台湾に今も息づく遺構などを13ページにわたって書いています。台北第一高等女学校の校訓碑、三義の奉安殿、台南の旧寶公学校(現・立人国小)、金瓜石に残る台湾製二宮尊徳像なども紹介しています。定価1000円。全国の書店でお求めください。
http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress4/index.php?p=196
http://www.fujisan.co.jp/product/1281683701/new/

◆取材メモから◆

■高砂義勇隊帰還者を訪問
台湾研究家の品川真紀さんにご紹介いただき、高砂義勇隊の従軍経験者を訪問しました。オラウさんは今年96歳。しかしながら、力強い言葉の数々に圧倒されました。戦地での体験、そして、日本統治下の台東、そして、再会することなく別れてしまった弟さんの話。色々と考えさせられました。
■台湾籍ソ連抑留経験者を取材
台湾籍ソ連抑留経験者。先々月に続き、千葉在住の陳旺さんを訪問しました。陳さんは二年半、ソ連に抑留されたあと、帰国を果たしましたが、居残りの抑留者の住所をメモして靴の底に隠し、引き揚げ後は全国各地、仲間の生家を訪ね、生きていることを家族に伝えて回ったそうです。
■パイワン族の移住史
以前からお世話になっているパイワン族の方を台東に訪ねました。今回は日本統治時代と戦後の移住政策についてお話をうかがいましたが、こういった集落の遷移史は台湾史研究の盲点になっています。ちなみにこの方、村ではみんなから「よしこ」さんと呼ばれています。
■台北三中の思い出と学徒動員
台北第三中学卒業の徳永基さんを訪問しました。中学時代、勤労奉仕で飛行場造りに駆り出されたそうですが、その場所は松山空港の南側に設けられた第二滑走路でした。現在も民生東路や健康路のあたりに飛行場跡が区画になって残っています。戦後は空軍関係の外省人集落になっていました。

★過去の原稿から★ 

ブヌン族の八部合唱を聴く
今回は台湾原住民族の音楽の中からブヌン族の八部合唱を紹介してみたい。ブヌン族は台湾中部の山岳地帯に暮らす台湾原住民族の一部族である。人口は5万人あまり。南投県や高雄市、花蓮県、台東県など、広範囲にわたって暮らしている。
ブヌン族は個性的な文化を持っているが、中でも八部合唱は世界的な知名度を誇る。彼らの言葉では「パシブブ」と呼ばれ、複雑な合唱方式であるばかりでなく、タブーによる制限も多く、神秘に包まれた存在となっている。
パシブブは日本統治時代から知られていた。最初に本格的な調査を行なったのは黒沢隆朝(たかとも)という音楽家だった。黒沢はドイツ民謡『山の音楽家』の訳詞者として知られている。1943(昭和18)年に「台湾高砂族の音楽調査」と称し、各地を巡った。そして、翌年、フランスの国際民族音楽会議で調査報告を行ない、ブヌン族の混声合唱も脚光を浴びることとなった。
ブヌン族にはこの合唱が受け継がれている。中でも、アワの収穫を祈願するためのパシププが知られるが、これは1月の種まきの時期から3月までの期間だけに唄われる。その前後は唄うことが許されず、練習ですら禁止されているという。選ばれた6〜8名が円陣を組み、両手を自らの両隣にいるメンバーの腰に当て、ゆっくりと反時計周りで動きながら、合唱を行なう。歌い手は大きく4つのパートに分かれているという。
実際の合唱を目の当たりにすることは難しいが、最近は伝統音楽のCDなども出ている。ブヌン族の奥深い文化に触れてみてはいかがだろうか。
                    (NNA隔週連載「片倉佳史の台湾雑感 2011年11月1日)

●魅惑の台湾語歌謡●

黄乙怜の唄う『傷心的車站』。ちあきなおみさんの名曲『喝采』の台湾語バージョンです。歌はもちろん、この動画では懐かしさ満点の集集線の風景が楽しめます。鉄道ファン的にはこちらにも注目です。
https://www.youtube.com/watch?v=eq4NeoOnMN4

■拙著・拙稿から■

★増刷報告。『台湾風景印〜駅スタンプと風景印の旅』(台湾・玉山社)の増刷が決まりました。おかげさまで三回目の増刷になります。
http://www.katakura.net/xoops/html/modules/tinyd1/index.php?id=6
★増刷報告。『古写真が語る台湾日本統治時代の50年』(祥伝社)の増刷が刷り上がりました。電子書籍版ともどもよろしくお願いいたします。
★九州の魅力を台湾の皆さんに紹介するフリーペーパー『美好九州』。最新号ができました。今回は「九州加油!」熊本特集です。
★『な〜るほどザ台湾』の7月号では「甘い香りに包まれたパイナップルの郷―台南市・關廟」を書かせていただきました。
★経済誌NNAの隔週連載「片倉佳史の台湾雑感」。7月は「台湾南部で流動夜市を楽しむ」、「歴史景観保存区・剥皮寮を歩く」を書きました。

○あれこれ○

★ 台東で食べたかき氷はトッピングのチョイスが6種類。トッピングだけで満腹になってしまう怖いかき氷 ☆ 家の前の公園にザボンが実っていた。さすがは南国と妙に感心 ☆ 某鉄道会社の社長との会食。人口減少の速さが想像以上のもので驚く ☆ 研修で台湾訪問中の宇都宮大学の学生さんを前に講演。思わず2時間半も話してしまった ☆ 花蓮周辺の人々は自らをアミスとは呼ばずパンツァーと名乗る。執筆時にもこだわりたいところだが、編集者から決まって「アミ族では?」と聞かれる(苦笑) ☆ 台南の友人からいただいた「ミニ焼き芋」。冷やして食べるとより甘いという不思議な焼き芋 ☆ 行政院で記者証の更新手続き。なぜかいつも緊張する ☆ 台湾生活情報誌『悠遊台湾』のスポンサーとの食事会。よりユースフルな一冊を目指し、家内が一人、苦悶している ☆ サキラヤ(サキザヤ)族の頭目さんに話をうかがう。時代に翻弄されつつも自らの文化を堅持してきた人々 ☆ 台湾料理の名店「欣葉」で杏仁豆腐を賞味。アーモンドではなく、杏仁(きょうにん)の実から作ったホンモノの杏仁豆腐はもちもちっとした食感。市販のものとは全く違う ☆ 某ロータリークラブから卓話のオファーをいただく。ロータリーの卓話は半年ぶり ☆ 台湾ファミマ限定の「ライチ烏龍茶」はなかなかの味。お茶らしい渋みが甘さの中に漂っている感じ ☆ 新しく販売になったチェブラーシカの背当てクッション。表情がいい ☆ いくともさんと打ち合わせ後、秋田料理をご馳走になる。食後のばばへらアイスも美味しくいただく ☆ 台南市花園小学校昭和20年卒業生の文集をいただく。貴重な証言の数々 ☆ 今年の新日本プロレス台湾大会は10月15日(土)の19時から。国立台湾大学体育館で盛り上がりましょう! ★

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台湾で守られる日本人納骨堂・屏東県廣修禅寺

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【台湾で守られる日本人納骨堂】

昨日、台湾南部、屏東県の高樹を訪ねました。
廣修禅寺(廣修寺)の名はほとんど知られていませんが、
ここには日本人物故者の遺骨が安置されています。

終戦後の混乱期、屏東市内に遺棄されていた遺骨が無数にあったと言います。
中には引き揚げ時に遺族が日本へ持ち帰ったものもありますが、
激しい混乱期、放置されたものも少なくなかったと言います。
それをある台湾の尼僧(故人)が拾い集め、供養してくれたものです。

周知のように、中華民国国民党政府は台湾総督府の公有財産はもちろん、
民間所有の物件も例外なく接収し、自らのものとしました。

屏東市にあった護国院(東本願寺)も接収され、
日本に関係したものはすべて破棄されたと言われています。

しかし、台湾の人々は故国へ帰れなかった遺骨を哀れに思っていました。
そんな思いを抱きながら、尼僧は一つ一つ拾っていったそうです。

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現在、廣修禅寺の敷地内に納骨堂が建てられています。
建立は1975年。外観はちょっぴり金閣寺に似ています。

ここに安置されているのは一般人、軍人、無縁仏までさまざまですが、
毎年旧暦7月に盛大な供養が行なわれます。

かつては遺族や関係者が訪れることがあったと言いますが、
高齢化が進んでいるためか、最近はそういう方も年々少なくなっているそうです。

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台湾で守られる日本人物故者の遺骨たち。
通常、納骨堂は閉まっているのですが、
訪問客があれば、開けますので声をかけてくださいとのことでした。

正直なところ、かなり交通の不便な場所ではあるのですが、
多くの方に知ってほしい空間です。

8月15日、終戦の日。
ここにもまた、時空を超えた「日台を繋ぐ空間」があります。

廣修禅寺
屏東県高樹郷東興村武尚路1-25号
※公共交通機関でのアクセスは難しいです・・・

取材協力・楊岱宗さん

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ルカイ族の高砂義勇隊兵士

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ルカイ族のカナムディサン(舊佳暮)集落を訪ねました。
屏東県三地門から山道をひたすら進んだ先にある仙境のような土地でした。

ここから一人の高砂義勇隊兵士が戦地に向かいました。
その中山さんは数年前に他界されましたが、
奥様のサチコおばさんにお話を聞くことができました。
家には石板を用いた自作の記念碑がありました。

それにしても、ルカイ族の言葉はとても複雑で難しいです・・・。
ルカイ族の集落では、カタカナを用いた表記が今もわずかながら見られるのですが、
実際の発音とカタカナ表記が一致していないことが多々あります。
ルカイの人々特有のカタカナ表記の法則があるようです。これもまた、興味が尽きないところです。

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