往年の太魯閣峡谷と理番道路
日本統治時代に撮影された太魯閣峡谷のカット。
当時は理蕃道路と呼ばれていた山越えの道は現在の横貫公路よりもはるか上を走っていました。
天祥(旧名タビト)に近い緑水歩道がかつての理蕃道路の一部です。
もともとはタロコ族の居住するエリアでしたが、
ここの歴史もまた、移住政策によって全容を掴むことが難しくなっています。
そのあたりの背景は拙著『観光コースでない台湾』(高文研)で紹介させていただきました。
コメント
TrackBack URL : http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress2/wp-trackback.php/135
この投稿には、まだコメントが付いていません
コメントの投稿
ごめんなさい、現在コメントを付けることは出来ません